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『創作少女たちの戦い』 ──はじまりの章──
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左手に装着した実用本位のごつい腕時計が十二時五二分を差している。控えめにいってもかなりまずい状況だ。それを少しでも改善すべく、あたしは昼なお薄暗い廊下を全速力で駆けていた。
もちろん、校則で廊下を走ることは禁止されてる。
だが世の中には特別法優先の原理というものが存在する。ある種の特別な規則、なかでも『五分精神前』は常に最上位の不文律だ。この厳しい掟を守るためであれば、大抵の無理は通ってしまうのある。
『スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない』
ふと、何かの本で読んだフレーズが頭に浮かぶ。えと、なんだっけ、これ?
ま、いっか。この防女──あ、防女っていうのは『防衛女子校』の略ね──は幸いなことに私学でもミッション系でもお嬢様学校でもない。教官にでも見とがめられない限り、多少の素行不良は大目に見てもらえる。
あと一分。あたしは祈るような気持ちで、『創作部』と書かれたドアを力任せに押し開いた。同時に、これだけは自信のある声を精一杯張り上げる。
「おはようございますっ!」
部屋に一歩入るなり、H川部長と目が合った。
「おはよう、S夜。今日は遅いぞ」
「す、すいません」
H川さんは両用科の五号生徒だ。
あははは、いきなり疑問符が飛び交ってるね。まあ一般市民の人には無理もないか。
えと、『五号』っていうのは一般の学校では高校二年のこと。それで『両用科』っていうのは、誤解を恐れずにいえば『海兵隊』──上陸専門の兵科──のことだと考えてほしい。元気いっぱいの女の子の集団である防女の中でも、両用科は特に荒っぽいことで有名である。そこでH川さんは入学以来ずっとトップの成績を納めていて、もうすでに防大の編入まで決めているという逸材だ。それどころか、なんと柔道のオリンピック強化選手の候補にも名前が挙がっている。まさに文武両道というわけ。しかし外見が頑強そのものなのでよく誤解されるけど、実はなかなかに細かい気配りのできる人だったりする。仮にも部長ともなれば、ただ勇ましいだけでは勤まらないということなのだろう。
「S夜さん、今日はどうしたの?」
あたしが空いている席に腰を下ろすと、先輩のS柿さんが小声で話しかけてきた。彼女は医療科の四号生徒──『四号』は高校一年相当──である。とっても優しくて、でもどこか楽しい人だ。彼女の描く4コママンガはそんな人柄がにじみ出ていて、とても暖かな気持ちになれる。当然、学内外を問わずファンが少なくない。そして何を隠そう、あたしも彼女の大ファンのひとりである。
「いやぁ。武装の分解組立実習で、班のひとりがネジ一個なくしちゃって……」
「ああ、あれはキツイよね~。全員が組立終わるまで帰れないんだもん」
あたしたちは顔を見合わせると、どちらからともなく共犯者の苦笑いを浮かべた。きっとS柿さんも、今のあたしみたいに一号生徒を営業してた頃に、似たようなことをやらかした覚えがあるのだろう。もうわかるだろうけど『一号』は中学一年相当する。そうそう、今さらだけど、防女が中高一貫教育を実施しているという事実はいちおう言っておこう。
「そういえば先週、進路希望調査票の提出だったんでしょ。S夜さんはどこにしたの?」
「ええとですね、いろいろ考えたんですけど、最終的に第一志望は特科にしました」
「特科か……。やっぱり医療科はダメ?」
「ダメってわけじゃないんですけど。やっぱ向いてないっていうか。先輩みたく、日本人形みたいに可愛くて頭よければ別ですけどね」
「こらっ、年上をからかうもんじゃないゾ」
ショートカットに切り揃えられたさらさらの黒髪を撫で付けながら、S柿さんは照れくさそうな笑みを浮かべた。そんなS柿さんを見ていると、あたしも彼女の百分の一くらい可愛げがあれば……と、ちんくしゃのちびっ子に生まれてしまったことを、ほんの少しだけ後悔したくなってしまうのだ。
「あ、また暗いこと考えてるでしょ。S夜さんにもちゃ~んといいところあるんだから。もっと前向きに行こうよ、ね」
「そうですね。元気だけがとりえですから」
「そんなことないって。私は、S夜さんの書くSSが大好きなんだから」
「えへへ……そう言われると、なんか照れます」
創作部とは、要するに昔でいうところの文芸部に近いと思う。ただ昨今の情勢の変化から、文芸活動もずいぶんと様変わりしてしまった。純文学派は事実上壊滅し、現在の二大勢力はラノベ派とイラスト・コミック派である。普通の学校であれば他に漫研とかアニ研みたいなものが存在しているのだろうが、さすがに国民の税金で運営される防女において、そのような外聞をはばかられるような部活がおいそれと許されるはずもない。
そんな人たちを救済しつつ、衰退の一途をたどっていた文芸部の人たちと力を合わせることで、活動を再び活性させる。そのためにH川さんが設立したのがこの創作部というわけだ。水陸両用作戦──陸軍、海軍、空軍という、まったく性質の異なる三兵科を平然と統合運用する、いかにも両用科らしい発想の転換といえるだろう。
「それで、新作SS読んだけど……もう少し情緒性を前面に押し出したほうがよくない?」
「あー、やっぱりそう思いますか。少し情景描写に力を入れすぎましたかね?」
「情景描写自体は悪くないと思うけど、その分キャラの心情の変化が曖昧になってる気がするなあ」
H川さんやS柿さんがイラストを得意とするのに対して、あたしはもっぱらSS(Side Story)を書くのが専門だ。得意……と残念ながら言い切れないところに、ある種の屈託を感じ取っていただけるとありがたい。
かちり。壁にかけられた大時計が十三時を告げる。
「全員傾聴。今日のブリーフィングをはじめるわよ」
H川先輩のアルトボイスが、部室いっぱいに響き渡った。
(つづく)
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