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『そらいろのさんぽみち』
──私たちの世界──
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「面倒を見る? この小娘の? どうして私が?」
そう食ってかかった私に、革張りの椅子にふんぞり返ったミーナは、平然と微笑で答えたものだった。
「あなたがこの基地で一番暇そうだからですよ、エイラさん」
「ぐっ」
なかなかに痛いところを突いてくるな。さすが、伊達に隊長サマを名乗ってるわけじゃない、と思う。まあここのところしばらく、戦闘はおろか、訓練飛行すらろくに参加していない。不審に感じられるのもむしろ当然か。
ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。カールスラントの空軍中佐にして、我等が連合軍第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」の偉大な隊長サマ。100機撃墜のスーパーエース。ひそかに「スペードのエース」と呼んでるやつまでいるくらいだ。その人望たるや、そりゃもう絶大の極み。下に優しく上に厳しい、たよりになるお姉さま的存在……ってか?
「それに彼女は──」
急に表情を引き締めて、ミーナが一息つく。この女の、話の流れが変わるときの癖だ。
「──彼女はね、ウィーン撤退戦の生き残りなの。この意味は、わかるわね?」
「ウィーンの、生き残り……」
思いがけない発言に、私は二の句を継ぐことができなかった。
なんともひどい戦いだったそうだ。接近するネウロイの発見が遅れたため退避が間に合わず、市民にも大量の犠牲者が出たと、風のうわさで聞いた。自分たちに非難が集中することを恐れ、偉い連中がこの事実をひた隠しにしてることも──
その時だ。視線を感じた。彼女の視線を。私はそれに自分の視線を重ね合わせる。そのまま、眼をそらすことができなくなった。
彼女が。
彼女の眼が。
まるで見捨てられることを恐れる子どものような眼をしていたから。
◇
それにしても、だ。
ミーナが私の身を案じていることはわかっている。あの手この手で私をなんとか立ち直らせようと思っていることも。正直なところ、迷惑以外の何者でもないが。
それにしても、だ。
どうもこいつは苦手だ。最初に彼女に引き合わされた時の想いなど、とうの昔に吹き飛んでいた。困り果てた私は、もういちど少女の顔を見つめなおす。
とにかく色素の薄い少女だった。申し訳程度にセットしたショートカットのプラチナブロンド。どんな雲よりも白く滑らかな肌。ほっそりと伸びた手足。どこか精気に欠けた雰囲気。そして、故郷スオムスの蒼い湖を連想させる綺麗な眼。彼女の何もかもが、およそ戦いとはかけ離れた存在に思えてならなかった。
おいおい、これで士官サマだって? オラーシャの命運も知れたな、こりゃ。
それにしてもこいつからは、何の表情も見て取ることができない。私もなかなかのものだと思っていたが、どうもこいつはそれ以上だ。まあ、こいつが悪いわけじゃないものな。生きながら地獄を見てきたヤツってのは、大なり小なりこんな風になるもんだ。
ズキッ。
うー、頭痛ぇ。昨日も明け方まで飲んでたからな。まだ酒が抜けてない。それを承知の上で、こんな面倒ごとを押し付けやがって。……あんの年増女、覚えてろよ。
次の瞬間、絶妙のタイミングで待機所のドアが開いた。
「エイラさん、ひょっとして私のこと、呼んだかしら?」
反射的にそちらを振り返ると、可憐なまでの微笑みを浮かべたミーナと目が合った。
「え……いや、別に呼んでないですよ」
「あらそう。じゃあ、彼女のこと、お願いね」
「は、はあ」
そう言い終わるなり、ドアは再び閉じられた。いつもより心なしか勢いがあったようだけど、気のせいってことにしておこう。
……だけど、まったく信じられねえ。固有魔法の地獄耳でも使ったんかなー。
それにしても、だ。
こいつ、どこか眠そうだな、などと思いながら、私はさっきミーナに手渡された、経歴に関する書類をペラペラとめくる。
「総飛行時間は八十時間か……」
「八十三時間です」
「どっちも似たようなもんだろ。細かいことをいちいち気にすんな」
「はい……」
わずかに困ったような色が目に浮かぶのがわかった。ふーん、こいつの考えは目に出るんだな。
「とにかく、経験が足りないな。まるっきり足りない」
「はい……」
「戦闘ではな、ただ飛べばいいってわけじゃないんだ」
「はい……」
「飛ぶことだけに必死になってる程度じゃ、十秒ともたずに敵に喰われる。息をするくらい無意識に飛べるようになること。それが最初の目標だ。それができるようになるまでは、作戦には参加させない。いいな」
「はい……」
思わずげんなりしてしまう。お前、『はい』しか言えないのかよ。よーし、こうなったら、なんとかしてそれ以外の言葉を吐かせてやる。うーんと、そうだな……。
「ところで、空を飛んでて、どう思う?」
「……よく、わかりません」
「そっか」
ようやく『はい』以外の返事が返ってきた。よし、勝ったな。
「じゃあ今日はトクベツメニューだ。この私がじきじきに、空を飛ぶ楽しさってヤツを教育してやる」
「空を飛ぶ……楽しさ?」
ほんの数ミリ程度だけど、わずかに小首を傾げたのがわかった。どうやらこいつは楽しい遊覧飛行になりそうだ。
◇
五分後。
私はこいつを引き連れて基地の滑走路へやってきた。すでに飛行許可は取ってある。
「あの、私のストライカーユニットは?」
「いいんだ。今日は私がかかえて飛ぶからな」
ウィッチの教程では、飛行感覚を養うために、先輩の魔女がひよっ娘を抱きかかえて飛ぶのはよくあることだ。だがこいつは、その課程をすっ飛ばされてきたに違いない。おそらくは、一刻も早く前線に送り込むために。
だがそんなマネは、この私が許さない。
「ここに立って。それで両手を横に広げて。そうそう」
人類の罪を一身に背負って十字架にかかった男のような姿勢をとらせると、私は後ろからそっと両手で、華奢な作りの身体を抱きかかえる。
「きゃ……!」
小さな悲鳴。うーん、まだまだ子どもだな。どこらへんが、などと無粋なことを聞いてはいけない。
「両手を私の手にかけて、しっかり掴め」
「は、はい」
なんせ今日はふたり分だからな。気合を入れていこう。
使い魔が反応。いつもより三割増の魔方陣が滑走路の幅いっぱいに広がる。魔力に呼応して、ダイムラー・ベンツDB 605魔道エンジンが耳をつんざく咆哮を上げ、あたりに土ぼこりが舞い上がる。左右のエンジンの出力差は許容範囲内。現在の基地周辺の気象状況は晴れ、南の風3ノット、水平視界は5マイル以上。
いいな、理想的だ。
誘導員がオールクリアを宣言するのを横目で確認。了解、のハンドサインを返す。よーし、全て問題なし。年増……ミーナが背後の待機所の窓から心配そうにこちらの様子を見つめている。大丈夫、心配すんなって。
誘導員が発進、のサイン。
わずかに身体を前に傾け、さらにエンジンに魔力を注入する。滑走路の上を滑るように私たちは前進を開始。そのままみるみるうちに加速。全身でGを感じる。滑走路脇に刻まれた測定用の標識を頼りに、自分の速度を測る。
V1突破。
VR突破。
V2突破。
滑走路の端が目前に迫る。構わず私は気合を入れる。
ふわり。
魔力が重力を超える瞬間。全ての束縛から解き放たれ、私は自由に空を舞う存在へと移行する。こればかりは何度経験してもゾクゾクするものだ。
雲量2の青空が私たちを迎えてくれる。見下ろせば青い海。彼方にはガリアの地。見上げれば春の太陽。それらを同時に見ながら、私たちは徐々に高度を上げていく。ただし、上昇率はいつもの半分程度。それはもちろん、こいつに目を回されては困るからだ。
高度4000フィート、速度200ノットで一路北東へと向かう。ドーバー海峡からバルト海へ。ここは私たちに割り当てられた訓練区域だ。そしてその先には故郷スオムスが、さらにその向こうにはオラーシャがあるはず。
回りに訓練中の機体がないことを目視と無線で確認してから、さらに高度を上げる。中高度から上には偏西風がある。それに流されないように注意しながら、慎重に運動エネルギーを位置エネルギーへと変換する作業に没頭する。
30分ほどかけて、私たちは高度は35000フィートへと達した。ここは対流圏と成層圏の境。すでに空の色は青を通り越して紫だ。海と雲が眼下に広がり、地平線はわずかに丸みを帯びているのがわかる。このくらいの高さになると、空気の浮力はまったく期待できない。ほんのわずか体勢を崩すだけで、軽く1000フィートや2000フィートは高度を失ってしまうのだ。
空戦においてなによりも重要なのは高度。敵に対しどれだけ高さをかせぐかが生死を分ける。そして一度失われた位置エネルギーは、容易なことでは取り返せない。高高度ともなればなおのことだ。このことが頭だけでなく、身体で理解できなければ、とても一人前の機械化航空歩兵とは言えない。しかし大半の連中は、それを理解する間もなく……。
妙な方向に展開しかけた思考を、首を左右に振ることで追い払う。気分を変えるために、私は改めて今日のお客さんに話しかけた。
「どうだ、いい眺めだろう」
「……」
おや、返事がないぞ。
「おい、大丈夫か」
まさか気絶してるんじゃないだろうな。後ろから抱きかかえているから、表情を見て取ることができない。
「……綺麗」
かろうじてつぶやき声が聞こえた。彼女の腕に、わずかに力がこもるのがわかる。
「これが……私たちの住む、世界」
「ああ」
思わず私の腕にも力が入る。
「これが世界だ。私たちの守るべき世界だ。わかったか」
「はい」
今までで一番力強い、肯定の返事。
ま、今日のところは、これだけわかれば上等だと思う。だから私は、ひとしきり満足感をむさぼりながら、こいつに言ってやったんだ。
「ようこそストライクウィッチーズへ、サーニャ」
(Fin)
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